お盆真っ只中、と忘れちゃいけない、終戦記念日ですね。幸運にも戦争がない世代に生まれた私ですが、今年は、戦争経験者であった亡き祖父の新盆でもあり、少し複雑なお盆でした。49万8,600人(※)‐太平洋戦争中のフィリピンにおける日本軍戦没者の数(大半が餓死や病死?)。海軍省にいた祖父は、昭和19年から終戦まで、通信兵としてセブ島、ネグロス島に派遣されました。艦隊、航空隊にも勤務した祖父ですが、身体検査でNGが出たことがきっかけで、通信兵になり、特攻隊を免れたとのこと。勿論、陸上戦でも、周りでは多くの死者が出たそうです。終戦後、米軍捕虜になったことから、今でも、祖母宅にはU.S.Armyと刻まれたスプーンがあります。(調理用スプーンとして大活用。)
祖父がこの話をしてくれたのは、私のフィリピン留学後でした。今年、TVで戦時中の模様に触れつつ、戦争で亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、当時のフィリピンの様子など、もっと祖父と話がしたかったなぁとしみじみ思います。
※その他、フィリピンでは現地人を含め、多くの人々が戦争の犠牲になりました。フィリピン留学時代、現地語の先生として出会った彼女の父親も、犠牲者の一人。その彼女も言っていたように、私達にとって、戦争はもはや、「誰が悪い」という次元のものではありません。決して同じことが繰り返されないように、しっかり「現在に目を向ける」、これが私達が引き継いだ課題のように思います。