8年ぶり〜

今日はホーチミン(HCMC)へ移動。アヒ男さん曰く、ホーチミンをHCMCと呼んだり書いたりするのは、ホーチミン氏を呼び捨てにしては失礼との敬意の表れなんだとか。半日市内を観光して夜便で帰途。8年ぶりに来てみると当時泊まったホテルはそのままでしたが、通称・雑貨通りのドンコイストリートは大型ショッピングセンターが出来ていたり、色々と変わった気がします。昼食後1.5時間程、通りを散策してアイス屋で休憩。その後、散策を続けていたところ、辺りが一気に暗くなり大雨到来。なので早めに空港へ。タクシーの運転手が”airport”を理解してくれずドキドキ。空港でフォーの食べ納めです。
8年前の宿泊先は健在。朝食が豪華だった記憶が。
フィリピンのソウルフードJollibeeを発見!
 
今日は面白い人に出会いました。1人目はニャチャン→HCMCのフライトで隣に座った50代の女性。日本食で最も好きなのは、鰻と中々の日本通。イギリス生まれ、西アフリカ、南アフリカで育ち、ロンドンの寄宿学校を経て、南アフリカのTVディレクターに。その後オーストラリアでホテルマネージャーの御主人と遭遇。バリで結婚式を挙げ、現地の男の子を養子に貰い、ジョクジャカルタ、バリに23年滞在した後、現在はベトナム・ニャチャンに滞在中とのこと。何でも、パースの寄宿学校に通う息子さんをHCMCまで送って行くところだとか。どんな話をしていても国境の低さを感じさせる方でした。
2人目は、ランチで隣になった初老のご夫婦。ニャチャン生まれ、現在はカルフォルニア、サンノゼ在住。在住歴は彼此40年だそうです。土地柄、ご婦人の方は、IBM、HPなど、ずっとシリコンバレーで働いてきたそう。アメリカに移住してからもベトナムには何度も来ているそうですが、今回は初めてハロン湾に行くそうです。HCMCをサイゴンと呼んでいたり「今は言葉も乱れているし全然良くないわね。物価も高くなったし。」と1975年(ベトナム統一)前の古き良き時代を懐かしむ辺りが背負っている歴史を醸し出していました。私とアヒ男さんが新婚に見えたらしいです:)。
其々の会話はもちろんのことながら、欧米で生まれてアジアを満喫する人と、アジアで生まれて欧米を選ぶ人、と対を成す偶然の出会いに益々の面白みを感じたのでした〜。

お土産調達

お土産といえば、スーパー。結局スーパーしか行っていない気がする私ですが、その分ノンビリできたので良しとします。我が家には既に大量のアジアン食品がありますが、人々に献上予定の品に便乗し、生春巻きの皮、ヌックマム、インスタント麺と色々買ったアヒ男さんは満足気。体調も安定してきたので、その後は、行ってみたかった現地レストランで昼食。ホテルのラウンジでゆっくりアフタヌーンティーとハッピーアワーを堪能しつつ、元気になったことに感謝〜。明日のホーチミン探索に向けて早寝。
ヌックマム勢揃いの棚。濃さの度合い(%)でお値段も違うようです。
2.5Lのコーラ。日本の2Lもかなりデカイと思ったけど、それの上を行くのね。。
日本のお米も色々。5kgで約850円と、こちらは安め。隣のお米には謎の「寿司米」の文字。
ホテルの部屋からの眺望。最上階だったので、見晴らしは最高。

ところで、例のレセプショニストのマニラ人、Triciaは2人の子持ちで1人はまだ6ヶ月。2ヶ月間の現地人材育成のため(恐らく)、渡越。不在の間、彼らの面倒は2人のNannyが見ているそうな。『3年間抱っこし放題での職場復帰支援』を進めているわが国とは間逆です。文化の違いもあるので簡単では無いと思いつつも、これまで私がお会いしたアジア諸国の女性は、多くが彼女のように育児と自分のキャリアアップを並行しています。国としての競争力を考えるならば、そんな女性の姿が我が国にもあって良いと思うのですが…。