At 4 yrs 2 mo. old

ママがイヤリングやネックレスを付けるとすぐに「かわいい!」と言ってくれる娘と、それには全く気が付かず「ママ〜」と抱っこされたい息子。そんな違いも楽しめるのが異性双子の利点かもしれません。

アヒ太郎

  1. 「ママが朝ごはん食べないと死なないかボクは心配なんだ」- ありがとう…でも今日は健康診断なのよ
  2. カミナリが鳴ると寝ていてもヘソを隠します。ママのも隠してくれます
  3. 「たくさんの見守りをありがとう」- 十五夜の月に語っていました
  4. 「ボクはママの匂いが甘過ぎてよく眠れるんだ」- こんな名セリフ、どこで覚えるんだろう
  5. 最近、食べる量が増えています。大きくなるかな?

アヒ娘

  1. 朝起きて一番の発声が「ねぇママ、白雪姫はりんごの白いところを…」- 寝ても起きてもプリンセスで頭がいっぱい!
  2. 寝言もよく言いますが、それよりもまず寝ながら笑います。夢の中でも楽しくて何より
  3. 音楽教室では「やだ」を言わない約束をしっかり守って、大きな声でお歌を歌っています
  4. 寝る前には必ず読みたい本を自分で選びます。でも2Fに持って行くのはママの役目
  5. 塗り絵の上達が著しい。だいぶはみ出さずに塗れるように。「ママも一緒に塗ろうよ」と誘ってくれます

久しぶりにアドボを作ったら、好評で2人ともペロリ。好きなものが増えて良かった!十五夜には、頂き物のキットでお月見団子を作りました。夜は近所の海辺までお月様を見に行きました。

Jugoya – Moon Viewing

Farewell

母が他界しました。「子どもが18を過ぎたら母親業は卒業!」と思春期前の子に言い切り、自分がやりたいと思ったことには100%の努力を厭わない、恐らく一般的には少し変わった母でした。母を知る友人からも「おもしろいお母さんだよね」と言われ、そんな母を誇らしく思っていました。大学で私が一人暮らしを始めても「お米とか送料考えたらそっちでも買えるし要らないわよね」と物資の仕送り要求の隙はなく、就職先においても「働いて自立してくれればOK」と会社や仕事内容には無関心で極めて合理的でした。かと思えば、水炊きに出汁が必要なことを知らなかったり、桃の剥き方が独創的だったりと、とにかく我が道を行く母でした。「Green Thumbを持っているの」と得意げに話し、花を育てるのや裁縫や刺繍が好きで、ハウス名作劇場やビバヒルにハマる可愛い人でした。母親というよりも人生の楽しみ方という点で刺激を受けることが多かった気がします。晩年はあちこち痛みがあり、二人での旅行は一度きり。もっともっと…。コロナで失われた時間が悔しくて「たられば」の思いは尽きません。でも、いつも精一杯駆け抜けた母自身は、今きっと後悔は無いんだろうとも思います。享年74歳。いつの間にか背丈は私より小さくなっていたけれど、母の存在は永遠に偉大です。

母が保管していた本に『星の王子様』がありました。「ぼく、もう死んだようになるんだけどね、それ、ほんとじゃないんだ…」「それ、そこらにほうりだされた古いぬけがらとおんなじなんだ。かなしかないよ…」「だからね、かまわず、ぼくをひとりでいかせてね」- 目では見えなくなってしまったけれど、この先は心で繋がろうね。