And it’s over now..

日本到着!帰って来ちゃいました、という残念さと何処でも飲み食いできるという安心が混ざって、プラマイゼロの心境です。体調不良もあって大変ゆっくり&のんびりできました。長編を制覇すると決めて日本から持ち込んだ1Q84(著:村上春樹)も無事に読み終えた他、透明ポーラベア(著:伊坂幸太郎)も読み、映画もハナミズキ、ランナウェイブライドをYouTubeで見たりとゴロゴロし放題。
さて、そろそろ現実に戻るストレッチを開始しようかな!

8年ぶり〜

今日はホーチミン(HCMC)へ移動。アヒ男さん曰く、ホーチミンをHCMCと呼んだり書いたりするのは、ホーチミン氏を呼び捨てにしては失礼との敬意の表れなんだとか。半日市内を観光して夜便で帰途。8年ぶりに来てみると当時泊まったホテルはそのままでしたが、通称・雑貨通りのドンコイストリートは大型ショッピングセンターが出来ていたり、色々と変わった気がします。昼食後1.5時間程、通りを散策してアイス屋で休憩。その後、散策を続けていたところ、辺りが一気に暗くなり大雨到来。なので早めに空港へ。タクシーの運転手が”airport”を理解してくれずドキドキ。空港でフォーの食べ納めです。
8年前の宿泊先は健在。朝食が豪華だった記憶が。
フィリピンのソウルフードJollibeeを発見!
 
今日は面白い人に出会いました。1人目はニャチャン→HCMCのフライトで隣に座った50代の女性。日本食で最も好きなのは、鰻と中々の日本通。イギリス生まれ、西アフリカ、南アフリカで育ち、ロンドンの寄宿学校を経て、南アフリカのTVディレクターに。その後オーストラリアでホテルマネージャーの御主人と遭遇。バリで結婚式を挙げ、現地の男の子を養子に貰い、ジョクジャカルタ、バリに23年滞在した後、現在はベトナム・ニャチャンに滞在中とのこと。何でも、パースの寄宿学校に通う息子さんをHCMCまで送って行くところだとか。どんな話をしていても国境の低さを感じさせる方でした。
2人目は、ランチで隣になった初老のご夫婦。ニャチャン生まれ、現在はカルフォルニア、サンノゼ在住。在住歴は彼此40年だそうです。土地柄、ご婦人の方は、IBM、HPなど、ずっとシリコンバレーで働いてきたそう。アメリカに移住してからもベトナムには何度も来ているそうですが、今回は初めてハロン湾に行くそうです。HCMCをサイゴンと呼んでいたり「今は言葉も乱れているし全然良くないわね。物価も高くなったし。」と1975年(ベトナム統一)前の古き良き時代を懐かしむ辺りが背負っている歴史を醸し出していました。私とアヒ男さんが新婚に見えたらしいです:)。
其々の会話はもちろんのことながら、欧米で生まれてアジアを満喫する人と、アジアで生まれて欧米を選ぶ人、と対を成す偶然の出会いに益々の面白みを感じたのでした〜。

雑貨通り

ベトナムは雑貨が有名。幸運にも顧客先の裏はガイドブックに必ず載ってる雑貨通り。例の如く、仕事後、深夜便での帰国。その間2h空きがあったので、早速行ってみると、確かに雑貨屋が盛りだくさん。どこから入っていいのか分からない位。手作り雑貨が多い為、お店によって微妙に柄や出来具合が違い、見ていて飽きません。疲労も忘れ、バッグ、ポーチを入手し、なんとなく旅行気分で帰国:)

家族は4人+1台

ホーチミンのバイクの多さは凄まじく、10年前の北京の自転車数に匹敵します(この比較分かりずらい?)。人は道路を渡るにも、前後左右からやって来るバイクを避けて少しずつといったバイク優先社会。このバイク、どうやらベトナムでは、単なる交通手段の域を超えています。通勤通学、材木運送に始まり、デート、昼寝、井戸端会議もバイクの上。ただ涼む為にも行き先無くバイクを走らせるそうで。一台に、妹-父(運転手)-僕-母と一家全員が乗ってしまうバイクは、夜は家族と共に家の中へ。ホンダさん、ヤマハさんは大事な家族の一員のようです。

機内の女

またまた2泊4日の出張です。今回の行き先はベトナム、ホーチミン。空港は春休みということもあって賑やか。機内で隣になった男性も、春休みを利用した一人旅といった感じの学生でした。緊張した面持ちで、入国カードの書き方、提出方法を相談に。しかし残念ながら、聞かれた私もベトナム初心者。旅行会社がくれたサンプルを分かち合いました。渡航時は、到着後に顧客に会う予定が無い限り、私の身嗜みはかなりカジュアル、時には化粧もしていないことさえ。気品美とは遠い装いにPC2台が入った破裂寸前のカバンを提げた女性は、彼の目にどう映っていたんだろうか、それがちょっと気になります。